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WEC世界耐久選手権富士を終えて~(1)

日が暮れて暗くなり始めたサーキット。
表彰台の上からは笑顔に包まれたチームメンバーの顔が見える。
そして僕を応援するためにサーキットまで足を運んでくれた仲間たちの笑顔が・・・。

しかしこれはまだ現実ではない・・・。

2012年10月。富士スピードウェ イで開催が決まったWEC第6戦富士に紆余曲折を経てついに参戦が決定。
目前に迫るレースに期待と興奮に胸が膨らむが、僕は6月のルマン24時間耐久以来、レーシングマシンに乗っていない。今回共に戦う事が決まったイギリスのADRデルタは僕自身初めて顔を合わせるチーム。レースが行われる富士スピードウェイも新しくレイアウトが変更になってからは初めてのドライブ。何もかもが初めて尽くしだ。
そんな状況の中、今回僕が参戦するLMP2クラスはこのルマンシリーズの中で現在最も競争が激しいクラスになっている。参加台数、ドライバー、チームのレベル共に過去最高のものになっていると言っても過言ではない。
そんな厳しく激しい戦いの場に、完全なぶっつけ本番で挑むことに対して自分自身が不安を覚えることはないのかと聞かれることがある。答えるまでもないだろう、僕は普通すぎるくらい普通の人間なのだから・・・。

しかし、ここまで来たらもうやるしかないのだ。

与えられた条件の中で望みうる最高の結果を出す事が僕に与えられたタスクであり、それが僕が戦い続けることの意味でもあると感じている。他のドライバー達のように1年中シリーズを通してレースを戦っている中で勝つのとは、少しばかりこの戦いへの想い入れも違うのかもしれない。

レースウィークに入る前の日曜日には鈴鹿のF1GPのイベントへゲストとして呼ばれていた。今年再び引退を発表したM・シューマッハがかつてドライブしていた’03年のフェラーリのF1マシンをデモランで走らせるためだ。

久しぶりの鈴鹿サーキット、そしてF1マシン。’97年に僕が最後に鈴鹿でF1を戦った時のことが鮮明に蘇る。このデモランが行われるのはF1日本GPの決勝日という事もあり、鈴鹿は大勢の人で溢れていた。

WEC世界耐久選手権富士を終えて~

その中でたった3周とはいえ再びこうしてF1マシンをドライブさせて頂ける事は光栄なこと。
この日のレースで日本の小林可夢偉選手が見事表彰台を獲得した。昨今あまり嬉しい話を聞かない日本のレース界にとっては、この彼のリザルトが一筋の光となっただろうか・・・。
僕にとってはこの鈴鹿でのF1ドライブが翌週に迫る富士での本番に向けて良い肩慣らしになったかもしれない。

そしていよいよレースウィークを迎えた。僕は火曜日に富士スピードウェイ入り。ここで初めてチームのメンバーと合流する。
初めて顔を合わせるチームのメンバーの印象は悪くない。チームの共同オーナーであるサイモンは穏やかだけど細かいところがあるようだ。
チームの要となるエンジニアのデビッドは天才で変わり者といった感じか・・(失礼)。彼はオックスフォードの大学を卒業してレースエンジニアになった紛れもない天才肌。しかもイケメン。今回のチームのイケメン大賞は間違いなく彼だ。
チームの体質はそのオーナーの性格が非常によく現れることが多い。これは会社(企業)とも似ているようにも思う。
今回サーキットには来ていないが、このチームのもう一人のオーナーを僕は偶然22年前から知っている。僕が18歳の時にレースの武者修行のため単身イギリスへ渡った際に他のチームの監督をしていたのだ。やはり彼も穏やかだけどデリケートな印象。その影響なのか、チームメンバー全員から穏やかないい空気が流れている。
メカニック達にはあまり神経質なところもない。みなレース好きの職人といった感じ。本当に、どこにも嫌な感じがないのだ。

僕はかつてイギリスに3年ほど住んでいた事があるのだが、こんなに穏やかなイギリス人たちと仕事をするのは初めてかもしれない。軽く顔合わせも兼ねてミーティング、そして皆にとって初めてとなる富士のサーキット を一緒に歩いて視察することに。

WEC世界耐久選手権富士を終えて~

日が傾きかけ夕暮れ迫るサーキット。遠くにそびえる富士山のその美しい姿が目に焼きついて離れない。
今回の富士、何かいいことがある予感がする・・・。

サーキットの視察を終えて、今度は今回僕が使用するシートの作成に取り掛かる。きちんとシートを作成するためには、少なくとも3時間以上の時間を要する。なかなか大変な作業なのだが、この作業を通してチームのメカニック達とのコミュニケーションを深めることが出来るのでとても大切な時間だ。この作業を通して僕はメカニック達の人間性を知ることが出来る。

WEC世界耐久選手権富士を終えて~

時間は限られている。明日には走行が始まり、そしてここまで必死になって走り回り、そして形にする事が出来たこの戦いの結果が数日後には出ているのだ。大袈裟ではない、1分1秒とも無駄には出来ないのだ。

人間は追い込まれてみないと1分1秒の重さが分からない。

僕はこの究極の「動」の世界に長年身を置いてきたことによって、ほんの少しではあるが時間の重さを知っている。時間の概念を語るのは難しい。だが時間が有限である事は変えようのない事実だろう。

全てが初めてといっても過言ではない今回のこのチャレンジ。このとてつもなく難しいチャレンジを、どうにかして大きなチャンスに変えられないものだろうか。
人間は得てして本当に追い込まれた時にこそ信じられないような集中力を発揮する生きものだったりする。そしてそこで何かを成し遂げた瞬間に「自分は出来る」という事に気付くのだ。それが自信となり、さらに大きなチャレンジに挑む事が出来る。
チャレンジを続ける人間に共通するのは、どこかに限界を超えられる瞬間があることを知っているということ。人間は知識(感覚)として知っている物事でないとそれを認識することが出来ない動物。僕みたいなのんびりした性格だと、意外とこのような状況が合っているのかも知れない・・・。

ここ数年の僕はこうした形での戦いにおける自身の脳の使い方に変化が生じてきていると感じる事がある。自分自身の考え方の角度を少し変えるだけで、ピンチをチャンスに変えられるのだ。これほどの頼もしい武器は他にない。僕自身今までならば必死に周りの状況を変えることに力を尽くしていたと思う。しかしこのような形での戦いにおいてそんな時間の余裕はない。

こんな時に一番頼りになるのは自分自身の脳みそだ。究極の強さとは、潔さなのかも知れない。

今の日本、世の中を見回すと、権力から離れられず潔さを忘れてしまっている人が実に多いように思えてしまう。新渡戸稲造の「武士道」にはどのように書かれていただろうか。僕の私見ではあるが、武士道とは潔く生きることのようにも思える。
僕は元来しつこい、良く言えば粘り強い性格だ(笑)。しかしそれが時に僕の欠点でもあったのかとも思う。人がその気性を変えるのは容易なことではないが、今は限られた時間の中で潔く自分が一生懸命に頑張ればいい。

こう考えられるようになるまでに何十年を要したのだろう・・・。僕は本当に要領が悪い。だから何をやるにも時間がかかる。生真面目な性格も影響しているのかもしれない。そんな不器用な僕に大切な沢山の学びの機会をくれたのは他でもない、この僕が戦い続けてきたモータースポーツの世界だ。この世界に僕を導いてくれた父に改めて感謝の言葉を伝えたい・・・。

WEC世界耐久選手権富士を終えて~

新しいマシンの感触を確かめながら、新しく作った シートを確認し、新しいサーキットの攻略のための鍵を探しだす。自分が走れない殆どの時間は、他のチームも含めチームメイト達が数十周もの多くの周回を気持ちよく走り込んでいるのをただ見つめる事しかできない。ヘッドセットを付け、チームのエンジニアとドライバーとの無線での交信を聞いてみる。

WEC世界耐久選手権富士を終えて~

この無線を聞いているとチームのセットアップの進め方、エンジニア、ドライバー達の性格が実によく分かる。人間は限界まで追い込まれている時にこそ、その人の本性が現れるといっていい。ぎりぎりの状況の中マシンをコントロールしながらマシンを走らせているドライバー達の反応は実に様々だ。

この水曜日のセッションで大まかなチームの仕事の流れを掴む事が出来た。走ることだけが学びではない。走れなければ、また別の部分でそれ以上の何かを見つける努力をしなければならないのだ。限られた条件の中でも最高の結果を出す努力をするのがプロフェッショナルの仕事だ。

初日の走行を終えて我がチームはタイミングモニター のトップに躍り出た。僕自身のマシンのファーストインプレッションも悪くない。

エンジニアであるデビッドのマシンのセットアップの進め方は理にかなっていてやり易い。セットアップを煮詰めていくための何千通りもの複雑なパズルを短い時間で解いていくには、エンジニアとドライバーとの絶妙なコンビネーションが必要だ。
この時に重要なのは、相手を理解しようとする心だろう。こうしたことは一見実際走ることとは関係ないようなことにも思えるが、実は最も大切なことであったりする・・・。
手前味噌だが、僕はこのパズルを解く作業を最も得意としている。この能力は僕が今でも世界のトップで戦い続けていられる理由のひとつでもあるだろう。そんな僕にとって今回初めて組むデビッドは久しぶりに手応えのあるエンジニアだった。

ミーティングを終えた後は、昨日作成したシートを更に自分の体に合ったものにするべく仕上げの作業に入る。レースウィークの1日は長い・・。

翌木曜日はドライバーサインオン(選手登録)以外はフリータイム。この日ドライバーはサーキットに長くいる必要はないのだが、僕はこの1日を使ってチームとの何気ない会話の中から距離を縮める作業を続けている。

そしてこの日、僕らのチームでは予期せぬアクシデントが起きた。

チームメイトのトー・グレーブスの父であるボブ・グレーブスが水曜日の夜に他界されたのだ。チーム全員がトーの精神状態を憂慮して彼を気遣うが、トーは実に気丈に振舞っている。彼のお父様はイギリス人、お母様はタイ人だが、彼のメンタリティーはタイ人の方が強いのだろうか。いつも我慢強く、そして微笑みを絶やさない。彼が大切な父親を亡くした悲しみは計り知れない。心からお父上のご冥福をお祈りしたい。

トーのためにも皆で力を合わせて結果を出さなければ・・・。

WEC世界耐久選手権富士を終えて~

金曜日には公式走行がスタート。午前と午後の2回に分かれて1時間半のセッションが行われる。
ここ富士の天候は晴れ。天候が安定しているのは本当にありがたい・・。
この2回のセッションではようやく僕も他のドライバー同様に周回を重ねる事が出来た。マシンのセットアップ、タイヤのテストなどを行いレースに向けたマシンのセットアップを煮詰めていく。

この日は2番手でセッションを終了。一番時計は下馬評通り、ホンダHPDのマシンだ。このホンダのマシンはロードコース専用に設計されており、我々のマシンより圧倒的に多くのダウンフォースを発生させている。超高速コースであるルマンのサーキットのことは考えていないのである。それだけに今回のようなロードコースでの速さは圧倒的だ。このマシンを操るNO.1ドライバーはステファン・サラザン。
彼はここ数年プジョーのワークスドライバーとしてルマン24を戦っていた優秀なドライバーだ。今年は突然のプジョーのルマンからの撤退により急遽LMP2のホンダをドライブしている。彼はこのシリーズにおいて最も速いドライバーの一人だろう。

そして僕のチームメイトであるジョン、彼のスピードにも目を見張るものがある。彼は25歳のオーストラリア人。そのスピードは初めて参戦したルマン24でいきなりポールポジションを獲得するなど現在このクラスにおいて最も評価の高いドライバーだ。僕は長年のドライバーとしてのキャリアから、走行データの解析を得意としているのだが、彼のデータを見てなぜ彼が速いのかがすぐに理解する事が出来た。
データ上で見る彼の走りはお見事である。これだけ速いチームメイトがいる事は僕にとっても心強い。しかし年に数回しかレーシングマシンのドライブをしていないとはいえ僕も現役のドライバーである。絶対に言い訳はしたくない。どんな状況においても同じドライバーとして負けるわけにはいかないのだ。例えそれがチームメイトであったとしても・・・。そこは、僕のプライドが許さない。

迎えた土曜日。この日は午前中に公式練習が1回、午後からは予選が行われる。予選アタックは一年を通して全てのレースでチームがやってきた通りチームメイトのジョンが担当する。この日の朝の走行ではもう一人のドライバー、トーと共に3人が同じ条件での走行を行うことに。これはマシンのセットアップを進めながらもチームがドライバーの力量を正確に見極めるためだ。日曜日の決勝でのレースプランを決める為の重要なインフォメーションでもある。

ここで僕とジョンはほぼ同タイムを記録する。このわずか2日間で、現在このクラスでもっともノリにのっている若くそして速いドライバーに追いつくことが出来た!

WEC世界耐久選手権富士を終えて~

彼は一年を通してこのマシンをドライブしてきているのだ。41歳の僕がまだ速く走れるという大きな自信に繋がるのは間違いない。
僕は絶対に表には出さないが、毎回久しぶりのコクピットに納まり走り出すまでは、心の中に一抹の不安を抱えていない訳ではない。
技術、メンタル、体力、運動神経。41歳を迎えた僕の体にどのような変化が起こっているのかは、正直自分でも分からないのだ。
ここ数年ずっとこうした難しいチャレンジを続けている僕なのだが、正直よくここまで走れているなと自ら感心する事がある・・。むしろ ドライビング技術が向上している?(笑)

悲しみを乗り越えて走行を続けるトーのラップタイムは僕たち2人から1秒ほど遅れている。しかし彼のキャリアを考えた時、これは決して悪いタイムではない。ここまでの2日間の走行で、チームの僕に対する信頼も飛躍的に大きくなりつつある。もう僕は既にこのチームに半年以上いるかのような信頼関係をチームメンバー達と築けつつあると感じていた。

WEC世界耐久選手権富士を終えて~

予選ではチームメイトのジョンが素晴らしい走りを見せてくれた。
結果は2番手である。

決勝レースに向けて現状望みうる最高のポジションだろう。ポールポジションはやはりホンダのステファン・サラザン。3位以下もタイム差は少なく僅差での争いだ。決勝での激しい戦いが予想される。今年僕が参戦するこのクラスは恐ろしくハイレベルなのだ・・・。

この日決勝レースへ向けたチームとのミーティングを終えてサーキットを後にしたのは21時を過ぎたころだった。

(2)へ続く

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