Raca

2013 WEC世界耐久選手権富士を終えて~

「残念だがレースはこのまま終了する事が決まった。」
ピットで控えていた僕にチームオーナーのサイモンがそう呟いた。
それは決勝当日、午後3時半をまわった時のことだった。

2013 WEC世界耐久選手権富士を終えて~

僕のレース人生で決勝が中止になったのは今回の富士で二度目だ。
一度目は2001年だっただろうか。
アメリカ最高峰のチャンプカーシリーズを戦っていた時のことだ。
テキサスのハイスピードオーバルコースで初めてチャンプカーのレースが行われたあの年、僕達の乗るマシンのスピードは400km/h近くに達していた。
エンジンの馬力も1000馬力を越えていて、恐らくあの時代が最も速く、そしてマシンのスピードが上がっていた頃だろう。

2013 WEC世界耐久選手権富士を終えて~

そして今の時代にもサーキットを周回するカテゴリーでこれだけのスピードが出ているレーシングマシンは存在しない。やはり危険すぎるのだ。
僕は今でも400km/hを越えるスピードに達する時の感覚を鮮明に覚えている。
結構怖かった…。(笑)
あの頃のマシンは現在のINDYやF1のマシンとは比較にならないくらい、じゃじゃ馬の化け物のようなマシンだった。

テキサスのオーバルトラックはそのバンク角の大きさからコーナリング中に強烈なG(重力)が発生する。
この時ドライバーの体にかかるGは縦方向に5G、横方向に4G以上に達していた。
このテキサスのオーバルトラックはストレート区間が短いため、体内の血液が正常な状態に戻る前に再び強烈なGが発生するコーナーがやってくる。
数周なら問題ないのだが、この状態を何十周、何百周と繰り返すことで徐々に脳に送られる酸素の量がコントロール出来にくくなってくるのだ。

予選後に当時まだ現役ドライバーだったマイケル・アンドレッティの呼びかけで行われた緊急ミーティングで、多くのドライバー達が走行後に眩暈や頭痛を抱えていたことが判明。
すぐさまレースのオーガナイザーが問い合わせた先はなんとアメリカ航空宇宙局NASAだった。
そしてNASAからの回答は、この状態で200周を越えるレースラップを続けていれば、ほぼ間違いなく走行中にブラックアウト、つまり失神するドライバーが出てくる可能性があるとのことだった。
僕も走行後マシンを降りるとまっすぐに立つことが出来なかった覚えがある。
タイヤにもたれながら平静を装いインタビューに答えていたのが懐かしい。(笑)
ドライバー達は皆自分の弱点をさらすようで、最後の最後まで自らがこのような状況であることを周りに伝えようとはしていなかった。
アメリカンモータースポーツの重鎮であるマイケルの勇気ある呼びかけがなければ、オーガナイザーはそんな事実を知る由も無くレースをスタートさせていたであろう。
それぐらい時と場合によってレースとは危険と隣り合わせのスポーツなのだ。

結果は誰にも知りえないのだが、その場合決勝で何が起こっていたかは分からない。
この時の僕の予選順位は5位だった。
この順位はその時点までの僕のオーバルコースでの予選最高位でもあった。
絶好調だったのだ。
もちろん決勝を戦いたい気持ちは大きかった、当時はレースが中止になることを聞いて落胆したことを今も良く覚えている。

話はそこから12年後の富士スピードウェイへ。
今回の僕の予選順位も5位だ。
ちなみに5は僕のラッキーナンバーだったりもする。
運命数と言っても過言ではないかもしれない。
僕の場合、いい事も悪いことも、この数に関係して起こることが多いのだ。
結果としてそれが本当に悪かったのか、それとも逆に良かったのかは分からないのだが・・・。

2013 WEC世界耐久選手権富士を終えて~

今回富士で行われるWEC世界耐久選手権は僕にとって大切な大切な一戦だった。
他のドライバー達のようにシーズンを通してレースを戦っていない僕にとっては、今年6月にフランスで行われたルマン24と母国日本で行われるこのレースがドライバーとしての全てを賭けて戦う大舞台だ。
この戦いのために僕は1年を通して自らの体調からメンタルの状態までを完全に調整してきている。
僕にとっては実に長い1年であり、自らの全ての時間をこのために特化して準備を整え、待ちに待った母国での戦いだった。
それは同時に僕をサポートして下さっている仲間達、そして応援してくれているファンの皆さんにとっても同じだったと思う。
やはり、そんな皆さんには本当に心から申し訳ない気持ちで一杯だ。
昨年に続く連覇を賭けて挑んだこの戦い、その戦いが始まる前に終わってしまうとは…。

今回の中止が決定した理由はこの時期には珍しい豪雨の影響だった。
正確には中止ではないのだが…。
時折弱まったかと思うと再び激しく落ちてくる雨粒…。
この激しい雨によってサーキットのアスファルト上に出来た川や水溜りは思いのほか大きなものになっている。
マシンがこの上を走ると、ハイドロプレーニング現象といわれる現象が起き、マシンのコントロールが全く効かなくなってしまう。
タイヤが水の上に浮いた状態になってしまうのだ。
映像を見る限りレースをスタートさせるには非常に危険な状態であるのは確かだった。

2013 WEC世界耐久選手権富士を終えて~

降り続く雨を恨めしく思いつつ、よりによって何故このタイミングなのかをずっと考え続けている自分がいる…。
ドライバー達はいつレースが再スタートになるかが分からない状態で集中力を保ち続けるのに苦労していた。
静かにじっと集中力を高めているドライバーもいれば、普段どおりに馬鹿話をして飄々としているツワモノもいる。

2013 WEC世界耐久選手権富士を終えて~

どちらがいいかは走り出してみないと分からないのだが…。

この日は11時にレーススタートに向けセーフティーカーの先導によるフォーメーションラップが始まったが、一向に弱まらない雨脚のせいでマシンは十数周にわたってイエローフラッグのもと周回を重ねていた。
しかしその後も見通しは立たず赤旗中断。
ドライバーはマシンを降りて待機するということを繰り返していた。

2013 WEC世界耐久選手権富士を終えて~

こうして時間は刻々と過ぎていき、いよいよ最後のリスタートを切るためのタイムリミットはすぐそこまで迫っていた。
色々な時間の制約上、当初のレース終了時刻である17時にはレースを終える必要があるのだ。
この時、時計は既に15時を回っていた。
恐らく15時半がオーガナイザー側の最終的な決定を下すタイミングとしては限界だろう。

この間、僕達は変則的なレース進行に備えて最終ミーティングを行い作戦を練り直した。
その結果、この後再スタートが決定した場合、この再スタート後は僕が一人でレースを最後まで走りきるという作戦が固まった。
3人のドライバー全員が最低2周しなければならないという緊急で決められたルールを実行するため、まずは2人目のドライバーをセーフティカーによる先導走行の間に走らせる。
2人目のドライバーが2周ルールをクリアした後、再スタートまでまだ続いているだろうセーフティカー走行中に僕へと最後のドライバー交代を行い、最後のリスタート後の1時間強のスプリントレースを僕が戦うというのがチームの作戦だった。

この最後の最後の大舞台をチームは僕に託していたのだ。
ドライバーとしてこれほど光栄なことはない。
この決定を聞いた僕は心地よい緊張感で武者震いが止まらない。
例えようのない緊張感の中でレース再開を待ち続けてきた数時間、もちろん僕の中で戦いに向かうための心の準備は出来ている。

2013 WEC世界耐久選手権富士を終えて~

こんな時、人はプレッシャーから逃げたくなることがあるものだ。
でもいくらそこから逃げようとしても、確実に現実はそこにある。
だったら自分から現実へ向かって行った方がいいに決まっている。
覚悟を決めると人間は思った以上に強いということをここ数年で僕は改めて学んでいる。
この感覚をどう表現すれば良いのだろう。
普段の生活の中では絶対に味わうことの出来ない緊張感だ。

ここまで一丸となって準備を進めてきたチーム全員の期待、共に戦うチームメート達の期待、僕を心から応援してくれている仲間達、そしてファンの方達の期待は確実に一つの方向に向けられてくる。
全ての期待と責任は僕のドライビングにかかっているのだ。

2013 WEC世界耐久選手権富士を終えて~

ピットの中ではこの寒い中長時間に渡り最後まで戦況を見守ってくれている仲間達の顔が見える。
そして観客席にはまだ沢山の熱心なレースファンの方達が再スタートを願いつつ待ち続けてくれていた。
みんなに何とかいいレースを見てもらいたい…。

2013 WEC世界耐久選手権富士を終えて~

ヘルメットを被ろうとしたその瞬間、無情にもチームから連絡が入る。
荒天のため、最後のリスタート後、そのままレース終了となることが決定したのだ…。
つまりスタートからゴールまで1周もレーススピードで走ることなく、レースが終わるということだ。
こうして最終的な結果は予選順位のままの5位で、僕にとって今シーズン最後のレースが終わった。

この時の気持ちをどのように表現してよいのか分からない。
この感情を表すのに適当な言葉など見つからないのだ。

ただただ茫然自失だった。
何故このタイミングなんだ。
またこの事を考えた。

僕のこの富士でのレースへの思い入れは、他のドライバー達とは少しばかり違うと思っている。
これから先、僕がこのように世界の大舞台で世界一を賭けて戦えるチャンスはそれほどは多くはないだろう。
世界中の優秀なドライバー達がこのシリーズに集まり、年々シート争いは激しさを増している。
そんな中、今年42歳を迎えた僕がどこまで戦い続けられるかは分からない。
少し気を緩めた瞬間にほんの少しの可能性などあっと言う間に吹き飛んでしまうだろう。
それだけ今のルマンを戦うドライバーのレベルは高く、競争は厳しい。
そしてその人気は年々高まる一方だ。

2013 WEC世界耐久選手権富士を終えて~

そのような状況において、一戦一戦を全力で戦い、そこで勝ち得た信頼と結果を紡いでいく事で、僕の次への挑戦の可能性は現実へと変わっていく。

今年のルマン24、そして今回の富士でのWECはそんな僕にとっては非情ともいえる結末だったかもしれない。
どちらも戦わずしてレースを終えるという苦渋を舐めさせられている。
これほどドライバーにとって辛く、苦しいことはない。
どれだけ自分を高めてそこへ挑んでも、戦うことさえ許してもらえないのだ。
今年は多くの方々の応援のお陰で、結果を出すための条件も十分に揃えられたはずだった。

レースから数日が過ぎた今は、少し冷静になった頭で色々な事を考え始めている。
今年僕が戦った2つのレースでは何となく共通点があった。
それはどちらも自らのコントロールの範囲ではないところで結果が決まってしまったということだ。
ルマン24ではチームメートによるクラッシュが原因だった。
そして今回の富士では悪天候によりレースが予想外の形で終了することになったのだ。
どちらのレースでも僕は一つのミスも犯してはいなかった。

2013 WEC世界耐久選手権富士を終えて~

自己満足ではないつもりだが、決勝レースに向けては非常にいい内容で物事を進めることが出来ていた。
ルマン以来久しぶりのドライブでしかも母国でのレース。
様々なプレッシャーと戦いながら短い時間の中でマシンのセットアップから自らのドライビングまでをも高いレベルに押し上げることも出来ていた。
これはこれまでルマンも含めドライバーとして積み上げてきた経験を十二分に活かす事が出来た結果だとも思っている。

それでも最後の答えだけは出せなかった、いや出させて貰えなかったのだ。

どれだけ考えても今は答えが見えない…。

もしかしたらこの2つのレースで起きた出来事にはそれぞれに大きな意味があったのかもしれない。
この試練を乗り越えられることが出来た時、その時こそが真の答えを手にする時なのだろうか。

あるいはあと少しだけ、僕が世界で戦う理由をくれたのだろうか。

来年僕は43歳を迎える。
スポーツ選手としてここからは更に自らとの戦いになっていくだろうと思う。

それでも僕は絶対に諦めない。

2013 WEC世界耐久選手権富士を終えて~

最後の夢である世界一を獲得すべく、ここから更に精神的にも肉体的にも追い込む覚悟だ。

来期のルマン24挑戦へ向けて…。

あと少しだけ、僕の挑戦にお付き合い下さい!!!

最後になりましたが、今年この大切な2つの世界での戦いへのチャンスを下さった全ての皆様へ、この場を借りて改めて心から御礼を申し上げます。

中野信治

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