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富士にて想ふ 後篇

前篇にてレースまでの流れを振り返ってみたが、今回のレースウィークを通して実に印象的なシーンを目の当たりにし、様々な思いが僕の胸に去来した。

その1つが今回サーキットへレース観戦に来てくださっていた観客の皆さんの姿だ。

あれだけ沢山の観客の方達がスタートが切られるかどうか分からない状況の中、最後までサーキットに残ってくれていたこと。

富士にて想ふ

富士にて想ふ

あの日は気温も低く、冷たい雨が降り続いていたのだ。
あの光景には僕も正直驚いた。
僕だけではない。
僕のチームメートやチームメンバー達が皆同じように口にしていたのは、日本のファンの素晴らしさに関してだ。
あるドライバーはWECシリーズの中で日本のレースがいちばん好きだとも話していた。
もちろん日本人である僕にとってこれほど嬉しいことはない。
心からそんなファンの皆さんを誇りに思った瞬間でもあった。
彼らはそんな大勢の熱心なファンの皆さんを見て、来年も必ず日本に戻りレースを戦いたいと思っているはずだ。

富士にて想ふ

こうして知らず知らずの内に観客の皆さんが日本の素晴らしさを伝え、そして日本のモータースポーツ大使になっていたのもここでお伝えさせて頂きたい。

レース後特別に開放された暗がりのピットレーンに集まってくれていた観客の方達と握手を交わしながら僕は改めて日本人の素晴らしさとは何なのかを考えていた。
冷たい雨の中長時間待ち続けてくれていたのだろう、握手を交わす手は皆冷たく冷え切っていた。

富士にて想ふ

そんな皆さんが僕の手を握りながら頑張ってくださいと声をかけて下さっていたことを僕は忘れない。

僕は2011年の震災の後、医療ボランティアのお手伝いをさせて頂くために被災地を訪れている。
その際現地で被災された皆さんが僕にかけて下さった言葉を思い出す。

「こんなところまで来てくれてありがとう。応援しています、レース頑張ってくださいね…。」
あの状況下でまさか自分がこんな言葉をかけてもらえるなんて考えてもいなかった。
本当に涙が出そうになった。

富士にて想ふ

このありがとうは魔法の言葉だ。

あの年、僕は本当に数多くの方達に背中を押して頂き、日本人で唯一ルマン24参戦を実現することが出来た。

震災が起きた後、僕は色々な状況を鑑みて、やはりルマン24への挑戦は厳しいだろうと一度は諦めかけていた。
あまりの出来事に正直僕自身が戦いに行く気持ちになれなかったのも事実だ。
そんな折、こんな時だからこそ日本の代表として世界で戦い、日本が頑張っていることを伝えて欲しいと仲間達に背中を押してもらったのはやはり生涯忘れることの出来ない出来事だ。
この年僕は「ARIGATO FROM JAPAN」のステッカーをマシンに貼ってこのルマンを戦った。

富士にて想ふ

この年のルマン24のスタートは震災からちょうど3ヵ月後の6月11日だった。
そしてこの年、僕は信じられないようなトラブルを奇跡のように乗り越え、ルマン24挑戦5回目にして初めての完走を果たすことが出来たのだ。

ゴールの瞬間、会場には
「被災した日本からたった一人で戦いにきたシンジ・ナカノのマシンがいまゴールした」
という実況が流れ、ひときわ大きな拍手をもらって僕のマシンはチェッカーを受けたのだ。
この時の様子は現地のメディアにも取り上げられた。

富士にて想ふ

もしお時間が許すようであれば、この時の僕のレースレポートを読んで頂きたい。

2011 ルマン24 決勝レポート

日本人とは何なのか?
僕はこんなところにもヒントが隠されていると思っている。
我々は自らのルーツを正しく判断することを忘れているのかもしれない。
その原点に帰ることが出来たならば、その時がこのスポーツにとっても、この国にとっても本当の意味での再スタート時点になるのかもしれない。

今回の富士でのレース、自然の力に対してはいかに人間が無力であるかを改めて感じさせられた1日でもあった。
今の日本を象徴している出来事であり天候だったのかもしれない。
どんな出来事にも必ず意味が存在するのならば、そんな出来事の数々が何を伝えようとしているのか、我々が本気で考え始める時期なのではないだろうか。

レース中止が発表され茫然自失になっていた僕に届いた皆さんからの励まし。
そこに僕は一筋の光を見ることが出来ていた。

「ありがとう」

中野信治

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